2015年01月11日

たらればの写真

『もし、飲まない人生を歩んでいたらどうだっただろう?』
そんな風に思うことはないだろうか。




 ・顔や体のシミが気になったとき
 ・病気を宣告された。または、体調が思わしくないと感じるとき

 ・一生懸命あたまを使っても、よいアイデアが浮かばないとき
 ・論理立てて、物事が考えられないとき

 ・自分の人生を振り返ったとき
 ・自分の生き方に嫌気がさしたとき

『もし、飲まない人生を歩んでいたらどうだっただろう?』
と思うことがある。

「もし、〜だったら」
「もし、〜していれば」

というような「たら・れば」は、
基本的に、人生においては実証のしようがない。

例えば、風邪薬。
ここでは鈴木さんが、以下の(A)〜(C)をたどったとする。

(A):風邪をひいた
(B):風邪薬を飲んだ
(C):3日後、風邪が治った

風邪が治って、鈴木さんは考える。
「もし、風邪薬を飲まなかったら、どうだっただろう」

風邪薬を飲まなくても、
(A):風邪をひいた
(C):3日後、風邪が治った
となったかもしれない。

風邪薬を飲まなかったせいで、
(A):風邪をひいた
(C):風邪が治ったのは、一週間後だった。
かもしれないし、

(A):風邪をひいた
(C):一週間後、風邪が悪化し、死亡した。
かもしれない。

もっと言えば、
(A):風邪をひいた
(B'):翌日40℃の熱が出て、階段から誤って転落。2ヶ月の重症を負った。
かもしれない。

理科の実験なら、
何度でも同じ環境で再実験ができるが、
人間の人生において、再実験は難しい。
できたとしても、『同じ環境』ではないから計りようがない。
鈴木さんの「その時」は一度きりなのだ。




しかし、以前とある記事で、
「たら」「れば」を比較できる例があることを知った。

以下の写真を見てほしい。

071006.jpg

これは双子の姉妹(40歳)の写真である。
そして、
左の女性は、喫煙者。
右の女性は、非喫煙者。

非喫煙者の女性に対して、
喫煙者の女性は、目元のシワ、皮膚のたるみ、歯の状態と、
大きな違いが出ている。




これは顔の見た目だけの例だが、
飲酒の場合であれば、
脳萎縮、内臓疾患、精神的、社会的立場など多方面で差異が出てくるだろう。

そもそも
「飲んできた自分」と
「飲まなかった自分」を
比較することは、すでにすんでしまったことなのであまり意味がない。

けど、
「また飲んでしまう自分」と
「飲まずに生きていく自分」には、
先ほどの姉妹の写真くらい、
大きな違いが出ると思っておいた方がよいだろう。

≪参考≫
左:非喫煙者の肺
右:喫煙者の肺

banner1_613.JPG





2014年12月23日

「普通じゃない」状態に気付く - 再飲酒(スリップ)について考えた

まず、はじめにことわっておきます。
今回、文章の構成に失敗してます^^;
どうも、読みづらいです。
ごめんなさい(m´・ω・`)m




今思い返すと、飲む(スリップ)前の自分は「普通」ではなかった。
「普通じゃない」というより、
「正常でない」と言ったほうが合っているかもしれない。

P1000014.jpg

スリップ(再飲酒)してしまうリスクを軽減するためにも、
この「普通じゃない」状態について、考えたいと思う。



本当に「普通」じゃなくなっている?

本題に入る前に、確認したい。

『スリップ(再飲酒)してしまう前兆として、
「普通じゃない」自分になっていることが挙げられる』

これは必ずそうだと言えるだろうか?
答えは「否」だ。

例えば半年くらい断酒を継続して、
それなりに「普通」の状態で生活をしていても、
『飲み会でつい飲んでしまった Σ(ノ≧ڡ≦)てへぺろ☆』
などといった端的なきっかけから、
スリップしてしまう可能性はある。

しかし、精神状態や行動が「普通」じゃなくなっているのに気付かず、
再飲酒への道をたどってしまうリスクは、
絶対に回避すべきである。

しつこいようだが、そういったわけで、
今回はスリップのリスク回避について考えてみた。



「普通じゃない」って例えば?

私の場合は、スリップした時のことを考えると、
「普通」じゃなくなっていることが結構ある。

「普通」じゃない状態は、
スリップ直前のこともあるし、
スリップするずっと前からそうなっていることもある。

(例)
【スリップするずっと前から起こっている、普通じゃないこと】
 ・精神安定剤や眠剤(睡眠薬)を服用し、しかもやめられない。
  場合によっては、過剰に服用する。
 ・精神安定剤や眠剤ではないにしろ、なんらかの薬物が手放せない。
 ・自傷癖や摂食障害があり、やめられない。
 ・コーラやお菓子といった、中毒性物質が含まれていないものでも、
  常に買い込み手元に置いておかないと気がすまない。
 ・一旦興味を持つと、極端に(普通じゃないレベルで)はまる。
  Etc...

【スリップする直前に起こる、普通じゃないこと】
 ≪環境≫
 ・仕事の質・量を高レベルで求められる
  (過剰なストレス・うまくいかないことによる自己嫌悪)
 ・夫婦の関係がうまくいかない。家庭内不和。
  (過剰なストレス・または絶望感)
 ・何らかの辛いイベントが目の前にせまっている(過剰なストレス)
 ・何らかの楽しいイベントが目の前にせまっている(異常な興奮状態)
  Etc...

≪状態≫
 ・自分にあたる(自傷など)
 ・物にあたる(自傷も含む)
 ・他人を攻撃する(罵倒や、暴力)
 ・異常な興奮状態
  Etc...

上記はほんの一例だ。
「普通じゃない」状態は人それぞれなので、もっともっと事例はあるだろう。



「普通じゃない」状態に気付く2つの方法

自分が「普通」の状態かどうか。
気付くための方法は2つある。

 @ 過去の自分の「普通じゃない」状態を書き出す。
 A 一歩離れたところから自分を客観的に見る。

@については、
 とにかく過去に自分が「普通」でなかった時のことを全て書き出そう。
 そして書き出したものを整理し、見直しながら
 「自分がどういった時に危ないのか?」を認識する。

 これによって、同じ罠にかからないようにすることが可能となる。

Aについては、
 その時にどんな状態でも、一息つき、冷静になって、自分を客観的に見る。
 1日の終わりに今日の自分を振り返って、「普通」だったか、考える。

 頭はニュートラルにしておく。
 仕事モードや家事モードの思考ではなく、
 できるだけ『素の自分』になって考える。


 すると「普通」じゃない、「異常」な自分に気付くことがある。

例えば、
 『あの時、なんであんなに怒鳴ってしまったのだろう。
  今思い返すと、いい年して恥ずかしいな』
 『ストレスで潰れそうだという理由で、最近、精神安定剤を手放せなくなっているな。
  無くなったら怖いし、2箇所の病院から薬を出してもらっている・・・』
 『駅で人とぶつかりそうになった時、もしぶつかっていたら、
 「あんなこと言ってやる!」とか「ボコボコに殴ってやる!」とか考えてたな。
  本当に手を出したりしたら大変なことになるのに。』
など。

できるだけ、自分の行為に目をつぶらず、正直に考える。
毎日できなければ、せめて休みの日はゆっくり思い返してみる。



危険な時期

飲酒をやめて社会に復帰すると、
特にこの「普通じゃない」自分に気付かないことが多くなるように思う。

仮に、アルコール専門病院を退院したて人がいて、
頭の中に、
「私はアルコール依存症だ。飲まないためにはどうしたらよいか」
という想いが90%占めていたとしよう。

この人が社会復帰し、3ヶ月ほどして仕事にも慣れたころ、
おそらくその人の頭の中の「私はアル症・・・」という想いは、
多くて50%。場合によっては10%くらいまで落ち込んでもおかしくない。

そうなると、気付けたはずの自分の「異常」に気付けなくなる。



大切なのは気付くこと

『一歩離れたところから、冷静に自分を見つめなおす』
ことは、非常に大切である。

そういった意味でも、断酒会やAAの役割が大きいといえるだろう。



2014年11月28日

嫌われる勇気

最近、『嫌われる勇気』という本を読んだ。

「アドラー心理学」について書かれた本だ。


その中で、例として、ひきこもりの人についてこう書かれている。


青年「その人は、本気で仕事に就きたいと願っている。しかし、過去のトラウマが邪魔をして、ひきこもりの生活をしているのだ。」

哲人「その人は、トラウマが原因でひきこもっているのではない。その人には目的がある。『仕事をしたくない』という目的が。だから、ひきこもっているのは、『仕事をしない』ための手段なのだ。」


といった内容だ。(かなりかいつまんだ内容なので、御幣があるかもしれないが)



青年は、「過去(トラウマ)」によって、その人の人生が決まるという。不幸な「過去(トラウマ)」があれば、それに引きずられるということだ。


哲人は、「過去(トラウマ)」をどう捉えるか(受け止めるか)、によってその人の人生は変わるという。また、自分の目的にあった「過去(トラウマ)」を持ち出すともいう。



これは、酒飲みにとっても痛いところをついた話だ。





私は仕事がきつくなった時、それを理由にスリップ(再飲酒)したことがある。

連続飲酒で、仕事にも行けなくなった。


口では、

「仕事に戻りたい」

そう言っていた。

いや、本当にそう思っていた。

その仕事を気に入っていたし、会社も好きだった。


でも、飲んでしまった。


その時の酒を飲んだ理由は、

「仕事で納得のいかないことがあったから」

だった。


しかし、『嫌われる勇気』を読んで思った。

「ああ、私は仕事から逃げたかったんだろうな」と。

私は「仕事から逃げる」ために飲んだのだ。






そこから考えるに、(私の場合)

「無理をしてはいけないのだ」

と思う。


これも逃げ口上かもしれない。


しかし私は、いくら仕事が好きでも、仕事がきつくなりストレスになった時に、「逃げよう」とするのだと思う。


個人的に、仕事にはプライドや情熱をかけたい。

きつくてもやり遂げることができる人間に、心からなりたい。

再飲酒のリスクを高めてでも、仕事のできる人間になりたい。


けれでも、その考え方で今まで何度も失敗をした。

スリップしてしまっては仕事どころか、私の場合は何もできなくなってしまう。


「再飲酒の可能性をできるだけ下げる」

「生涯もう二度と飲まない」

こういった想いを通すには、「無理をしない」という選択肢を選ぶしかないようだ。


それが、「仕事を頑張らずにすますための言い訳だろ」と思われたとしても。





『嫌われる勇気』を読んで、あの時の再飲酒の本当の理由がわかった気がする。


これは飲酒に限ったことではない。

これからは、自分の行動の『本当の理由』を、『本当の自分の目的』を、一呼吸おいて考えたいと思う。

そうやって本当の自分と対話することで、その時々でよりよい選択ができるのではないだろうか。



51ETFNtF1OL._SX230_.jpg









×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。